「新近効果」
最後に提示された情報で、その人の印象が決定されやすいという心理法則。新心理学者 N・H・アンダーソン(1976年)
子どもは家庭で見せる顔とは別の顔を持っている。
そんなことを気付かされた出来事がある。
妻に替わり、こども園の送迎を引き受けた日だった。
長期休暇明けだったこともあり、休暇中の習慣を継続したいと主張する息子。
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遊ぶ所に行きたいー!
の一点張り。
逆撫でしないように、言葉を選んで交渉開始。
どんな代案を出しても、「今行きたい!」という要求を叶えることはできない。
要求に応じない私に対して、服を人質に”着替えない”という抵抗を見せる。
タイムリミット(登園時刻)が刻々と迫る。
朝の8時、開店している施設は当然ない。
ただ、このままでは平行線。
よくドラマで、相手の要求通りに身代金を渡し、人質を解放するシーンがある。
実際に、本物の札は表面の一枚だけであとは新聞紙という仕掛け。
最小限の代償で、その場を収めるという方法。
「わかったよ、最初に遊ぶ所に行くから、その後はこども園行こうね!」と息子の要求を一旦呑む。
服も解放されて、着替えをして家を出る。
そして、開店していないことを知りつつ、子ども向け施設へ向う。
正面入り口まで行き、自動ドアが開かないことを確認。
不思議そうに、
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なんで開かないのかな〜
と言っていたが、諦めてくれた様子。
それでは、今度はこちらの要求を呑んでもらう。
その足で急いて、こども園に向かう。
惜しくも、間に合わなかったが、先生達の痛い視線を全身に浴びながら、その日はなんとか預けた。
そして、次の日も送迎に名乗りを上げた。
しかし、今日は、
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「行きたくなーい」
の一点張り。
さすがに、行かせない訳にもいかず、やっとの思いで身支度を終え、出発。
嵐の後の静けさとはこのこと。
車中〜こども園に着いてからも、ずっとおとなしい。
そして、別れ際、
だんだんと表情が崩れ、土砂崩落。
我慢していた感情もろとも溢れ出て、泣き出してしまった。
先生の力も借りながら、なんとかバイバイをして、後ろ髪を引かれる思いで子ども園を後にした。
別れ際の涙は、さすがに堪えた。
一緒に居たいと思ってくれるのは単純に嬉しく、できるならそうしたいところ。
一方で、将来自立するためにも、社会生活を営む術も親としては学ばせていかなければならない。
親のジレンマ。
預けるという任務は果たしたが、モヤモヤが残る日となった。
口も達者になり、力も付いてきて、家では殿様のような態度でブイブイ言わせているが、社会に出るとやっぱり小さい。
まだ、若様といったところ。
ただ、この無力さを見られただけでも送迎した甲斐はあった。
大きくなれよ!