「小さな親切大きなお世話」
自分では親切だと思ってやっていたことが、実は相手にとっては却って余計で迷惑以外の何物でもなかったという状況を表す言葉。ピクシブ百科辞典
育休2日目。
子どもに言われるがまま朝一の公園にいった。
遊んでいると、1組、また1組と計2組の母と子が来る。
ブランコと滑り台しかない小さな公園。
4つのブランコは、女の子、女の子、空き、息子という並びになる人気ぶり。
すると、横並びの女の子の親同士が自然と会話を始める。
どうやら、初めましてらしい。
話題は、こども園の入園について。
「どうやって申請したら良い」とか、「入園出来なかったらどうなる」など、色々と悩んでいる様子。
お互いにわからないので、「あーではないか。」、「こーではないか。」と憶測が飛び交う、生産性が全くない会話。
「この場で市役所に問い合わせた方が良いのでは?」と思うレベル。
息子は、こども園を退園した初日。
入園も退園も一通り経験している。
そのため、聞こえてくる会話のほぼ全ての解答を持っている。
親切心で割り込もうと思ったが、踏み留まった。
ふと過ぎったのが、
「誰も解答を求めてはいないのではないか?」という推測。
初めましてを乗り切るための”時間稼ぎ”の会話かもしれない。
解答を教えることで、「あーではないか。」、「こーではないか。」という憶測タイムは終了する。
“新しいネタ”がすぐに見つかれば良いが、最悪の場合、沈黙がこの場を支配するかもしれない。
自ら巻き込まれにいった結果、そうなれば耐え切れる気がしない。
真意はわからないが、親切と不親切は隣り合わせ。
地雷を踏むのは回避した。