「ペルソナ」(ラテン語)
古代の演劇で役者が自分の役柄を表すためにつけた仮面。仮面としてのペルソナが、社会の中で一定の役割や使命を果たす人格のあり方を指すようになり、パーソナリティ(人格)の語源になった。
SNSの普及により、”いつでもどこでも誰とでも”つながることができる便利な世の中になった。
一方で、SNS疲れという言葉があるように、他人との比較で苦しんだり、他人の反応に過敏になってしまうなど、新たな悩みも生んでいる。
そのような”負の感情”は、影のようなものだと考えている。
光となる”正の感情”で満たされている間は影を潜め、光が消えると、再び侵食を始める。
つまり、一時的に最小化できるが、ゼロにはできない。
”ベースは影”というのが私の考え。
一方、”正”と”負”が独立に存在し、ベースはないという考え方もある。
息子がその立ち場。
一つエピソードを紹介する。
夕食の直前に、
ゼリーが食べたい
という息子に対して、「夕食を食べてからね!」と答える私。
息子は、不服だったようで、一気に沸騰。
なだめるも聞く耳を持たず、怒りを撒き散らす。
しかし、数秒後・・・思い出したかのように、
あ、そうだー!パパに教えてあげよう。
と、言って普通に会話を始める。
なんでも、網戸に虫が止まっていたらしい。
パパ、こっちおいで、こっちおいで。
と誘導されるがまま着いていき、網戸を確認。
どうやら、お昼頃の話らしく、今はいなかった。
しょんぼりする息子。
「え?さっきの怒りはいずこへ?」と首をかしげる間も与えず、
「ブロックしたい〜!」
と今度は駄々をこねる。
(夕食直前のブロックは・・・と渋る私)
まさに、”感情のモグラ叩き”
個性豊かな感情モグラ達が次から次へと、出ては、引っ込むを繰り返す。
出っ放しのベースモグラは存在しない。
ただ、叩いて解決する前に、引っ込んだモグラは再び顔を出す。
「夕飯できたよ〜」という妻の合図に合わせて、
「ゼリーが食べたい!!」
という息子。
この時を待っていたと言わんばかりのタイミング。
私が温かいうちにご飯を食べたいというのを知っている。
延長戦にもつれ込むと不利益が大きいと判断し、「夕飯をちゃんと食べる」という条件で、承諾。
結果的に、要求を呑むことにはなったが、”ゼリー捕食モグラ”は叩けた訳だ。
私も夕飯にありつける。
また、モグラは家だけでなく、飲食店では”ママっ子モグラ”の出現頻度が高かったり、”駄々っ子モグラ”が確実に出る雑貨屋もある。
これは、TPO(Time:時間、Place:場所、Occasion:場合)によって違った役柄を演じ分ける大人と根本的には同じ。
唯一の違いは、解決するまで表に出すという点。
考えてみると、”負の感情”に対して、解決の手立ては考えるものの、実行に移さないことが多い。
考えれば考えるほど、深みにハマってしまい、身動きが取れなくなってしまうからだ。
確かに、”考える人”が立ち上がった姿を私は見たことがない。
あれは考え過ぎた人の末路なのかもしれない。
それならいっそ、引っ込めて、解決するチャンスを見計らって、再出現させてみようというのが息子のスタンス。
自分が変わらなくても、TPO、つまりは状況が変えてくれることもある。
手持ちを仮面をフル活用し、時流を読んで戦っている。