「光陰矢の如し」
月日の過ぎていくのは、飛ぶ矢のように早い。
歳月のたつのが早いことのたとえ。コトバンク
ここ数年で生活は一変。
オンライン化の波は、時々刻々と我々の生活を飲み込んでいく。
今や、「ワイワイやろう」・・・オンラインで!というように、何でもかんでもオンライン。
ビールを突き合わせて、労をねぎらうこともなければ、面倒なお酌回りもなくなった。
画面を介しての飲みニケーション。
しかしながら、痛感するのが、”間”の取りにくさ。
信号機も標識も一切ない交差点を走行するようなもの。
「どっちが先に行く?」という腹の探り合いや、「どいてどいて〜」と周りを蹴散らす人もいたりと、秩序を保ち難いのがオンラインの特徴。
ただ、画面に向かって話すことには、抵抗はない。
最初は、「無機質な画面との対話なんて・・・」と思っていたが、意外と親近感も湧くものだ。
今となっては画面は相棒となり、逆にリアルと距離を置くほどだ。
オンラインは、景色(背景)も自由自在で、ハワイで優雅にワインを転がしたり、砂漠のど真ん中でキンキンのビールをグイッといく(雰囲気を味わう)のが、自宅に居ながら出来てしまう。
少し前までは、想像すらし得なかった、”妄想”と”リアル”が融合した新しい体験だ!
PCは会話ツール
今の子はこの世界がスタンダード。
3歳の息子も、画面越しで、普通に会話をしている。
少なくとも(数十年前の)私の幼少期には、PCで会話ができるなんて発想はなかった。
学校でもPCは計算機と習った。
時代の流れの早さを改めて痛感する。
当時は、PCも家庭に普及し始めた頃で、画面と言うと(ブラウン管)テレビを真っ先に思い浮かべる。
「この箱の中に人が入っているんじゃないか!?」という疑惑もあり、映像が乱れると、「中の人が悪さをしている」と言って叩いて直していた光景が今でも目に浮かぶ。
しかし、今の(ノート)PCは、入る隙間もないくらい薄い!
まな板と区別が付かないほど。
もはや、「人が入っている!?」という発想すら浮かばないのではないか?
実際に、息子に聞いてみた。
うーん、ここ
と、息子が指差したのはどこだっただろうか?
(私の予想)
どんなに薄いと言えども、やっぱりPCに入っていると答える。(そこは昔も今も変わらない)
指を差す場所は、実際に映像が映るモニター部と予想。
結果は、
PCの下面(机との設置面)を指差した。
意外な回答に、即座に「なんでそう思うの?」と聞くと、
下に隠れているんだよ
と答えた。
流石の薄さに”中”はないと思っての”下”なのか、真意はわからないが、私にはない着眼点で「なるほどな〜」と感心してしまった。
きっと、物事の”見方”や”切り取り方”が、まるで違う。
子どもだと思って、甘く見てしまうこともあるが、彼らなりに考え、自分の意見をしっかりと持っていることにも毎回驚かされる。
環境が人をつくっていく。
この小さな種も、芽を出し、花を咲かせ、大きくなっていく。
そして、これからの当たり前を作っていくことだろう。
次の時代の主役は君たちだ!